何もかも夢じゃない


僕らはココにいるんだ OH シアワセが舞い降る


去年のライブ中、何度も歌詞を噛み締めて涙しそうになる瞬間があったのだけど、そのなかでも一番グッときたところ。何もかも夢じゃなくて、嵐もわたしもここにいて、幸せが舞い降る場所。「Are you happy?」と問いかける五人はやっぱりずっと大好きな五人だった。


近頃、過度におおのさんを褒めることに、それを目にすることに疲れていたのかもしれない。わたしも好きなアイドルはちやほやしたい派なので、ほめちぎるのは大好きだけれど、そうじゃなくて、なんていうのかな。なんか疲れちゃって。少し距離を置いていた。

嵐から問われた「Are you happy?」に対する答えはもちろん「Yes, I'm happy. 」だった訳だけれど。


ツアーに行けることが決まって、当日までなんとしても生きなきゃ!って必死にがんばってどうにか迎えた昨年12/4。

光の海、音の渦。まるで現実味のない世界の真ん中に五人が現れて。巻き起こる歓声の間から聞こえた歌声にようやくこれが夢じゃないんだって思わされた。


おおのさんの『bad boy』は「やられた!」って感じだった。求められてるものは理解しつつも、「こうしたらみんなどんな顔をするんだろう」って見事におおのさとしの手のひらの上で転がされてるな〜〜という心地が堪らなかった。ぞくぞくした。画面にどアップで映し出されてる人と今目の前で踊り狂う人は一体、本当に同じ人なのだろうか。おおのさとしという人間から一生わたしは離れられないのだと悟った数分間だった。だってこんなに惹かれてしまうって!わるいおとこ!


そして時が経ち、今年のアルバム「untitled」が発売されて。

まずは、今年も出してくれてありがとう。一年がんばってきてくれてありがとう。こんなにのぼりつめた人たちだけど、この状況を当たり前にしない、そういうところにものすごく惹かれている。


『無題』という題を掲げて。

5人も言っていたけれど決めないこと、は「楽」で「苦しい」だろうなと思う。

手元に届いて、ひとまず『未完』のMVとユニット曲、そしてカンパイ・ソングを聴いた。(これはまた別記したい)

去年『Bad boy』を聴いたとき、大好きな声が、加工されてるのがやだなーって言った。でもおおのさんが「なんでこうなったんだろうね」と笑ってくれたこと、あと有難いことにライブに行けて、この曲の落としどころ、おおのさんの表現をこの目で見られたことで、もやもやしたものがぶわあっと無くなった。


でも何処かで「来年は」と思ってる自分もいて。来年は、そのままのおおのさんの声が聴きたいな。来年もアルバムが出たら、ソロ曲があるはずだと、勝手に思い込んでいた。でも結果としては無かった。


ソロをやっていたのは「それぞれにやりたいことがあったから」。

でも「今回はそれが特に無かった」。



メイキングをみた。そうか〜〜…そうなのか。それを聞いて初めに感じたのは素直に言うと「残念だ」という気持ちだった。特別にやりたいこと、ないのかあ。それはすごく前向きに考えれば、アルバムの中や、それ以外のところでやりたいことはできているからなのだろうか。

ちょっぴり捻くれた私は、「わたしたちがソロを見たいだろうな〜」とは考えなかったのかなあ、とか思ったりもした。違うの、そういう基準で作ってほしいわけじゃない、でもだって、だってと言う。五人が大好きだけど、でもやっぱり、おおのさんが一等好きで、おおのさんの歌が特別で。好きな人の歌声だけを聴けるなんて、そんなことなかなか無いから。年に一度だけ。嵐が、おおのさんが歌ってくれるそれは、私にとって「魔法」に近いものだった。


私は嵐が魅せてくれるものを見たいオタクだし、でも、でも、少ーしだけ。ずっと求めていたものを、スパーンと省かれてしまったのが悲しくて… ユニットありきで考えていた訳でなかったと聞いて、余計にしょんぼりしてしまった。どっちもは欲張りすぎると思うし、「今回は久々にユニットをするからソロはお休みするね」と言われたら納得できたかもしれないのかなあ。

「ソロってなんでやってたんだっけ」って自分たちのしていることをなあなあにしていかない。常に問いかけていくスタイルは、確かに私の好きな嵐そのものだった。でも悔しかった。ちょっとだけ。



ここからは完ッ全に、勝手な一個人のおおの担の気持ちなんですけど(まあ冒頭からそうだけど)。

おおのさんのソロって、嵐でしか聴けないと思っていて。おおのさんは、嵐の中でしか歌わない。と思う。私にとっておおのさんの歌は特別で、唯一無二のものだから他がどうとかじゃなくて、おおのさんの歌が好き。…そりゃ欲を出すならソロアルバムだって欲しい。あわよくばそのツアーにだって行きたい。それくらい切望して、恋い焦がれているものが無いという事実を、おおのさんが決めたのならば、そういうことなんだろうなと飲み込む。


おおのさんが監修した『Miles away』を聴いて、なんだか私が思っていた以上におおのさんは嵐の可能性を楽しんでたのが印象的で。言葉が正しいか分からないけれど、嵐で楽しむのが、嵐を楽しむのがおおのさんの「今」なのかなあ。しがらみも多いだろうし、我が我がで前に出てくるような人ではないけれど、本当にやりたいことや嫌なことには忠実な人だと思っているから、今回のアルバムから、おおのさんの声から、おおのさんの「今」を知りたくなった。



「僕の表現することで、何でもいいから何か感じてもらえたら、やっている意味があるのかなと思う」


嵐にいるおおのさん、おおのさんのいる嵐の18年目が私にどんな影響を与えてくれるのか。わからないけれど、だから面白いし止められない。アルバム全部を聴き終わったとき、どう思うんだろう。全然違うことを言うかもしれないな。そしたら、また書きたいと思う。